ベーグルの穴から見えた日記

家族とか試練とか

日曜の夜です。お約束の、日記執筆の時間です。

あ、いきなり業務連絡ですが、この後3月末まで、ちと慌ただしい1カ月になる予定です。
楽しいことから、そうでもないことまで、スケジュール帳にいろいろ詰まっております。
日記のほうはしばらく滞るかもしれませんが、多分がんばってやってるはずです。

そんなふうに宣言した時に限って、案外、毎週末しっかり日記を書くかもしれませんが!


そういえば、まるぴん(猫)がこの前、夢に出て来て。
これまで数えるほどしか夢に出てくることがなかったから、すごくうれしかったんですが。

夢の舞台は、文化祭かなにかの準備で。いろんな知ってる人や知らない人が次々と出て来て、これといった展開もなくだらだらと続く、長編の夢でよくあるパターン。

(しっかし、夢のシーンって、どうして何歳になっても、学校だとかバイトだとか、若い時のままなんだろう。私だけ?)

室内の催し(古着屋さんか何かだった)の準備がひと段落して外に出てみたら、表は表でまたいろんな食べ物屋さんの屋台が並んでて、それぞれ担当の人が準備をしていて、そんなのを眺めながら、ぶらぶらと、まだ誰もいない休憩スペースへと向かった。

そこには、石でできた長方形のベンチがいくつかあるんだけど、そのひとつの上で、うちの猫が寝てたんです。
外だというのに、うちの中にいる時と全く同じようにリラックスしきって、おなか丸出しで、ぷーぷーと寝息を立てて。

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(注:画像はイメージです。)

私はまるぴんに、

「まるぴん、そんなとこで眠り呆けて、今はいいけどもう少ししたらお客さんがたくさん来てここに座るんだよ!」

と声をかけたけど、まるぴんは特に気にしてなくて。

私は、まるぴんが日頃は出ることのない表に出て、お日様の下でのびのびしてることをうれしく、少し頼もしく思いながらも、知らない人間が来たら慌てふためいて怖い思いをするんじゃないか、そしてわけも分からず逃げたらうちに帰って来る道が分からなくなっちゃうんじゃないかと、少し不安になった。

それで。
それでどうしたかは、もう覚えてないんだけど。
少なくとも、「その夜、まるぴんは帰ってこなかったのでした!!!」みたいな恐ろしい展開にはならなかったから、夢の中のあすかまるの家に、夢の中のまるぴんは、ちゃんと帰ってきたのだろうね。

私の家にいる現実のまるぴんも、もちろん元気で、夢のまるぴんと同じく、今もぷーぷー眠ってる。
(現実のまるぴんは、お日様の下であんなにのびのびできないで絶対パニクるだろうから、そこはちょっと違うかな~。)

だから、別にどーってことはないんだけど。

ただ、あのながーい夢の中で、あのなんでもない瞬間のまるぴんへのふとした感情の部分だけ、やけにくっきりと覚えていたものだから、目が覚めてから興味深く思い起こした。
親が子供に思う気持ちって、あれの100万倍ぐらいのものかしら、と思ったり。

まるぴんは、家族とはいえ、猫ですからね~。
人間の子供とは、将来に待ち受けているアドベンチャーの量が違います。

子供に限らず、旦那さんや奥さんにだって、同じ感情を持つ時があるかもしれない。大人になってからだって、アドベンチャーはたくさんある。
家族って、みんな、ああいう気持ちでできてるのかもしれない。

人生にはたぶん時々、試練があって、家族共通の試練もあるけど、個々の人生の試練もあるわけで、その場合、自分の試練の時は自分でがんばるしかないし、相手の試練の時は、私にできることは限られてる。
その一方で、家族は運命共同体だから。

そしてまた、家族と家族がつながったりするもんだから、ややこしい。
子供の時に思っていた「家族」よりも、本当の「家族」は、ずいぶんと、ややこしい。

子供の時って、お父さんとかお母さんとか、おじいちゃんとかおばあちゃんとか、おじさんとかおばさんとか、みーんな自分を中心とした絶対的なものであって、みんな実は別のところから来て「家族をやっている」っていう認識、ないものね。(だから、サザエさんにおけるマスオさんの婿という立ち位置が、全くピンとこないわけで。)

そしてそんな折、今度は友達から借りたマンガ、「働きマン」を読んで、また考え込んでしまった。

人生における試練や、試練における我慢とか。
我慢することは、時には必要だし大事だろうけど、自分を犠牲にすることとの境目が、難しい。

とりあえず私は、そりゃあ我慢することは多々ある。(時には、我慢することが案外好きだったりとか。)

これまで自分の人生を何かのために犠牲にしたことはなく、ここまで来ることができた。
そして、どっちかというとそれを誇りに思ってたんけど、どうやら、もしかしてこれって、誇りに思うべきことではなかったのかしら??

(別に「働きマン」の結論は、何かを犠牲にしないとダメなのだ、というものではなく、働くいろんな立場の人をとりあげたマンガなんですが。)

私はただ、家族みんなが楽しく笑って生きて死ねればいいな、って、それだけなんだけど、それっていかにも、イマドキの若者っていうか、甘い考えなのかな~。私もう若くもないのに、考えだけ若いって、余計にヤバいよね・・・。


じーーーーーーー(・・・何か、視線を感じる・・・・・)

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まるぴん「なにがやばいって~?」

ぎゃあー、猫教の教祖のまるぴん様!!

あすかまる「いや、あのですね、自分の思いに忠実に生きるという猫教の教えは、人間の大人としてしっかり生きていくには、実は、やはり少し、不十分でないのではないかと・・・」

と、私が話し終えるより早く、まるぴん様はシンクからどてっと重々しく飛び降りて、スタスタと寝床へと向かわれ、今日のところは、その答えは出ませんでした。
とりあえずもうしばらく、猫教を脱退する予定はないのですが、まあ何かと考えさせられる2014年です。

いかん、もう眠らないと!
アドベンチャーを乗り切るには(いや私は、単に少し忙しいってだけで、特にアドベンチャーちゅうほどのモンは来てないけど、一般論としてね、)身体が資本です。

あー、3月!! さんがつー!! えいえいおー!!
おやすみなさーい!
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コメント


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煙の男さん、

そうなんですそうなんですー!!
私もアドベンチャーって言葉を思いついた時、「なんてすてきな言葉だろう!!」と、しばし見とれてしまいました。

誰の人生もアドベンチャーだと思うけど、やっぱり小さな子供がこれから立ち向かっていかなきゃいけないアドベンチャーといったら、中でも一層大変なもので、そして家族のみんなは、それを一緒に見つめていく・・・家族ってすごいよなーと思います。

小さな身体に無限の可能性・・・ドキドキのわくわくですね!

あすかまる | URL | 2014-03-02 (Sun) 11:12 [編集 ]


アドベンチャーかあ。好い言葉だなあ。家族が増えたばかりだから、より一層、考えさせられる日記です。相手が子であれ、パートナーであれ、猫であれ、犬であれ、家族としての心のアドベンチャー。未来、将来、明日が楽しみになってくる言葉でした。

煙の男 | URL | 2014-02-25 (Tue) 12:33 [編集 ]