ベーグルの穴から見えた日記

私の宗教って?

実は、金曜がイースター前のGood Fridayで、3連休でした。
仕事が若干立て込んでいた関係で、ほんの半日ほど自宅から働きましたが、あとは、主に猫を愛でて過ごしました。

相変わらず雨がちで、どっか出かけようかと思うと雨ざあざあだったりして。日曜は、昼間は持ちこたえていましたが、夜になってまた降り出しました。

イースター(復活祭)は、キリスト教の人にとって最も重要な日だそう。当然のことながら、世の中にはキリスト教の人だけじゃなく、ユダヤ教やイスラム教や仏教や、その他いろんな宗教の人がいるので、Facebookなんかで友達全員にざっくり挨拶する時には、「イースターをお祝いする人たちへ、Happy Easter!」という言い方をしてる人が多い。

で、その関連で、この時期に何度か立て続けに聞かれた質問が、「日本で最も重要な祝日は何?」というもの。

重要な・・・? いやー、祝日はどれも貴重ですよ、何せ日本の大企業だったりすると、有給を取りづらい会社も結構ありますからね・・・、って、そういう趣旨の質問ではないのです。もちろん。

ふむ。
やっぱり一番重要なのは、新年、ということになるのかなあ。

・・・というのが私の答えであり、これはたぶん間違っていないと思うんだけど。
じゃあ、「Why?」と聞かれて、新年を祝う日本のお正月というものを、どうやって説明しようかと考えると、つまってしまう。神道?・・・なんだろうけど、「お正月は、神道のお祭りです。」って、ちょっと乱暴な説明。ま、いいのか? でもやっぱり、神道のお祭りであることを意識していないから、違和感が・・・。

でもじゃあ、2番目に重要なのは、何だろう、やっぱりお盆? お盆も重要だよね。でもあれ、仏教から来てるらしい。
あとね、「日本は長い休日とかないの?」(これも、「日本の重要な祝日は?」の類似質問といえます)と聞かれて、たまたま時期的に近いこともあって、思わずゴールデンウィークが口をついて出たんだけど、例えば「子供の日」って、宗教的には何のお休みなんだっけ? 端午の節句? 節句って何?

と、きちんと説明しようとすればするほど、混乱に陥るわけです。

私は自分の宗教を説明するのに、「私は仏教と神道のミックスみたいなかんじです。」と言ってます。でも、ちょっと恥ずかし気に。だって、「私はキリスト教のカソリック」「私はユダヤ教」と、確固たる宗教を持っている人から見たら、「ミックス、みたいなかんじ」って、かなり邪道じゃない???

でも、よく考えると、別に恥ずかしげにする必要はなく、堂々と説明すればいいのであった。英語で説明さえできれば!
で、調査。

Wikiの「日本の宗教」のページの下のほうにある「日本人の宗教観」の項を見ると、かの有名な、二宮尊徳さんの本の中にある言葉として、

「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、真言宗などいろいろあるが、これらは何れも、いくつもある真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。(中略)入り口が幾つもあっても、最終的に到達する場所は、一つである。それは、誠である。」

きちんとひとつの宗教を持っている人と争うつもりは毛頭ありませんが、私もこういう気持ちでいます。(そのすぐ下にある、芥川龍之介の言葉もとても好きです。)
でも、こういう気持ちは、二宮金治郎くんが偉い人だったから考え付いたのだとか、私がいつの日か一人で身に付けたものなのではなく、日本の文化と歴史の上に生きてきたから、こういう考え方を獲得するに至ったのだということを、よく考えて、きちんとそういうふうに人に説明できなくてはいけませんね。

そして同じWikiのページに出てきたことば、「神仏習合」。それよそれ!

神仏習合ということば、学校で習った時には、うまく実感できてなかったなあ。それ以外の世界、それ以外の人たちを、その時は、全く知らなかったし興味もなかったから。
今は、いろんな宗教の人と話す機会があって、自分のことも説明しないといけなくなって、「日本は神仏習合の歴史を持っている」というのが、このややこしい私自身の宗教観をうまく凝縮してくれてることがわかる。
神仏習合は、「syncretistic fusion of Shintoism and Buddhism」だって。「syncretization」というのが、2つの全然違う信仰を融合させることなんだとか。今度この長い単語を覚えていられたら、使ってみよう・・・。フュージョン、というだけでもいいかもしれない。

と、難しいことを考えてたら、マフィンが自分のベッドから出て、ソファに座ってる私の隣にやって来た。単にきまぐれで、寝床を変えてみただけのようで、すぐに、お腹丸だしで、ししゃものように伸びたまま、すぴーすぴーと眠ってしまった。

この猫は、一体何を信じて生きているのかなあー。

偉い人に名前をつけたりせずに、常に「誠」に誠実に生きているという意味では、二宮尊徳に近い気もする。(おおー、うちの猫、二宮尊徳レベル?!)
でも・・・、何も考えていない、っていう説がやはり有力かな。

つまり本当は、そんな難しいこと何も考えなくても、正しく立派に生きていくことはできるのかもしれない。
人間とは、かくもややこしい生き物よ。

私いつも、眠りこけてるマフィンのおなかがゆっくり上下してるのを見てると、「生きてるってありがたいなあ」と、いきなり根源的な神聖な気持ちになるのです。むしろ私は、猫のおなかを見ては生について考えをめぐらせる猫教で、教祖はマフィンさまと、こういうわけなのかしら。

今眠り過ぎて、夜中にいきなりハイパーになられては大変なので、これから教祖を叩き起こして、ひと遊びさせていただくことにします。
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コメント


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ガレットさん、
長々と放置してしまい、すみません~~~。
悪い風邪で臥せっておりました・・・。

生老病死を受け入れる力。確かに、それらをどう解釈するか、っていうのがそれぞれの宗教に、ありますよね。
でも、どんな宗教を選んでも、本当に自分の心がそれらを受け入れられるようになるというのは、もう一生モノの課題ですね。深いです・・・。

あすかまる | URL | 2011-05-06 (Fri) 11:54 [編集 ]


難しいですね~

生老病死を受け入れるチカラであり、
幸せを願う気持ち、かな *^^*

ガレット | URL | 2011-04-27 (Wed) 13:38 [編集 ]